あなたもきっと私の基準
最近は人生で6度目のクビ宣告をされて泣いて寝込んだり、将来を憂いて就職活動をしたり、その傍らフリーランスとしてやっていくための間口を広げようと試みたりと、無職なりに忙しく活動していました。自宅で。
就活って難しいね。
安定は欲しいけれど自身が不安定ゆえ、仮にどこかから採用通知をいただいたとしても、素直に喜べるのだろうか。
私はどんな選択をするのか。
本当に事実だけをベースに物事を客観視して考えられるのか。
それとも誰かの判断基準を借りてきて「客観的意見」とするのか。
最終的に自分の行く先を決めるのは本当に自分なのか。
ということをぐにゅぐにゅ考えております。
どこかから内定もらったらとりあえず入社しちゃうのが経済的安定を得るには手っ取り早いんだけども、面接すらこれからな状態なのでなんか先走っているような、過程において大事ななにかをすっ飛ばしてる感じがあるというか。それでも考えてしまうものは仕方ない。
いつも疑問に思うんですけど、みんなは純粋に自分の意志と過去や目の前の事実だけを鍵にして物事を決めているんでしょうか?
私にはそれができません。
すぐ、「あの人ならこうするかも」「この人に相談したらきっとこういう答えが返ってくるだろう」と勝手に頭の中で他人の意見を作り出してそれに振り回されてしまいます。
その結果、最初は「私の職について」という内容のことを考えていたのに、「誰のことを信頼すればいいのか」に議題は変わってしまっています。
しかも直接相談したうえで、どの人を信頼してその意見を主に取り入れようか、と考えているのではなく、「自分で作り出した仮想あの人」に従おうとしているのだから、救いようがない、というかすごく愚かな思考をしているなと思います。
基本的に私は私の中に自分で決めた基準というものをほとんど持っていません。
「好きなこと/ものはなんですか?」
なんて問われようものなら頭の中は大パニックです。
どこまで知ってれば好きっていっていいの? CDはほとんど持ってないけどあの歌手のことは好きだな、読書は好きだけど最近はめっきり読まなくなってしまった。文章を書くこと? いやいやそれこそ巧拙が思いっきり関わってきそうだから言わないでおこう。
好きなら好きといえばいいのかもしれないですが、安心してそれを伝えるためには何かしらの基準が欲しいんです。相手に突っ込まれても対応できるだけのなにかを満たしたものでないと好き、とは言えないんです。
そういうときに「頭の中のあの人」に基準を求めます。
読書家のあの人には及ばないから、多分本を読むことは好きではない。普通。
あの人はライブに行ってきたらしいけど、私は行ったことがない。好きというのはやめよう。
どれだけ他人になにか言われるのが怖いのか。
なにをそんなに臆病になっているのか。
どうすれば自分の中にオリジナルの価値基準を設けることができるんでしょうか。
もしかしてみんなはこんなに肩ひじ張って、好きとか嫌いとかを考えていないのでしょうか。
直感的に嗅ぎ分けて、誰にも邪魔されずに、自分だけのハサミや定規でさくさくと好きと嫌いとそれ以外を切り分けているんでしょうか。
不安で一度じゃ処理しきれない事態が起きたとき、誰かに相談することはみんなあると思います。答えが出ないようなことをぐるぐる語り合うことだってあると思います。
でも、最後に答えを出すのは自分です。当たり前ですが。資産家の娘でもあるまいし、もう親が出てきてあれこれ言う歳でもありません。
その時、えい、と物事を決めたのは本当に純然たる自分ですか?
それとも頭の中にいる誰かの意見を採用したんですか?
そもそも頭の中っていろんな自分が何人も住んでる上に、他人がどんどんやってきてすぐしっちゃかめっちゃかになりますよね?
それをどう統制して意見をまとめ上げているのですか?
一番偉い自分は誰が決めたんですか?
頭の中で選挙でもしたんですか?
物事を決めようとする前に、物事の決め方の段階で躓いているんだからざまあないです。
恋愛についても、誰が決めたかわからない一般常識的にとらわれて、いつも
「こんな人間が恋人同士だなんてダメだ、別れなきゃいけない」
と分かれを切り出しては元に戻り、を繰り返している始末です。
きっとこれから私は現実の誰かにヘルプを出すと思います。
よく「相談するとき、実は自分がどうしたいかは決まっている」といいますが、まだその段階にも立てていません。
誰かに会いに行く際には、努めて「自分の」意見を持っていくつもりでいますが、ぐちゃぐちゃな状態を、それこそ切り分けてもらいに行くかもしれません。
しかし、誰かに会いに行く。その時だけは、自分の中の基準がどうだ、好き嫌いがなんだと面倒くさいことを言わずに、勇気はいるけれど、すっと連絡を取っているように思います。
そういえばいま私の頭の中にいる人たちには、みんなそれぞれに思い入れがあって、「これからもよろしく頼みます」という気持ちのもと、頭の中にいてもらっている感覚があります。
そりゃあ、人付き合いの中で過ごした時間の密度や距離感はそれぞれ違いますよ。
憧れの対象、羨ましく思っちゃうことがある人、尊敬してやまない人、少しのライバル視。そういう場合もあります。
でも上手く言えないけれど、さっきの好き嫌いの基準の話とはなにかが違うんです。
エントランスフリー、個人としてのあなたときみ。彼女と彼。
今日わかったことはここまでです。
無理にいいことを言って、カッコつけて締めたところでなにも変わりやしないんです。
いままでの怠惰をうらみつつせいぜい悩み続けなさい。生きていく限り悩みは尽きないらしいけど、いま目の前のことに苦しんでみなさい。
頭の中の何人目かの私がそういうので、そろそろベッドにもぐりこもうと思います。