変わり玉記録帳

日記・文章を載せる場所。個人文章道場も兼ねる。脳みそ断片保管庫宇宙本部。

「食う寝る読む出す」によるサバイブ

久々に本をすらすらと読んでいる。声に出して読むこともある。昨日も寝る前に文庫一冊頭から終わりまで読んで寝た。


いろいろな遊びを知る前は「食う寝る読む出す」が私の生活の基本であった。
親のものだけど本がたくさんあったので、読むものは限りなくあったし、返却期限がないというのもうっかりしがちな私にとってはありがたかった。大学時代は延滞で何度ペナルティーを食らったことか。


高校生になってからは大幅に読書時間が減った。それは私にとってものすごく怖いことだった。「本を読む私が私」だからである。
本を読まないのは私じゃない。でも読めない。疲れて眠ってしまう。私の支柱がどんどんもろくなる。四つ足の獣でいられなくなる。


三つ足じゃバランスよく歩けない。想像力の世界を思うとおりのスピードで駆けることができなくなってしまう。


大学の生協の書店がかなり充実していたこともあり、その頃は空きコマには少し本を読むようになった。


でも没入が下手くそになっていた。もっと作品の中へ、貪るように食い込むように、そして、だんだん周りが暗くなって目にはたった今その瞬間の一行以外映らなくなり、すうっと言葉に沈んで、音を失うほど、本に敬虔になれなかった。ブランクの弊害は私が一番大事にしているところに現れた。情景はぼやけ、登場人物たちの表情は霞んだ。


しかし、幼い頃の習慣は侮れないもので、落ち着かないときに無性に本が読みたくなる。不安なときに小さい頃の癖が出てきてしまうのと同じだと私は捉えている。合格発表を待つ間も、1日に2冊ほど本を読んでその日を待っていた。

今もそわそわすることがあって、絵を描いてみたり、家事をしたりしても平常心でいられなくなるときに、私は貧弱な自分の本棚の前に立つ。


買ったはいいものの読んでいなかったもの。結末は分かっていても何度でも読みたいもの。あれもいい、これも素敵だと選ぶ様はレストランでメニューを見ている姿と似ている。
どれも美味しいのだ。ただ、舌と胃袋が求めるものは日により違う。


当たり前のことだけれど、その欲を無視してはならない。カツ丼を食べる気でいたのに、アジフライ定食が出てきちゃ困るのである(それでも食べれば美味しいのだけど)。


また、その様は自分に自分で漢方薬を処方するようである。今の私の魂を冷ますのはどの薬だろう、と様々な薬草が入った薬棚の引き出しをあっちこっち開けては閉める。
それは
「そわそわするんです」
という私に、それは悲しみ?焦り?それとも怒り?はたまた恋慕?からくるの?それによって出せるものは違う、と感情の整理を促してくれる。
今回は「緊張」だったので、森見登美彦の「新釈走れメロス他四編」を選んだ。


しかしまだ緊張の波はやってきそうなので、念のため山田詠美の「マグネット」も追加で出している。気が変われば別の本を読むまでだ。


どちらも短くてあっという間に読める短編集だ。本当は川上弘美の「ゆっくりとさよならをとなえる」、「パスタマシーンの幽霊」を読みたいのだけど、あれは実家の母の本である。


言葉や音楽に限らず、きっとみんな様々に己の治療薬を持っていて、それを巧みに使いながら日々をサバイブしているのだと思う。
そして生きていく中で心に何らかの効果をもたらすものはきっと増えたり減ったり変わったりしていくのだろう。


これからしばらくそわそわするので、また本には助けてもらうつもりである。

 

 

お願いだから、今だけは 馬鹿につける薬はない、なんていわないでね。