一人暮らしの難しき
去年の末から一人暮らしを始めてもう6月も終わろうとしている。早い。
親は急に一人暮らしをすると言った私を最初は心配していたが、ある程度清潔な環境で、一応バランスを考えた食事を作り暮らしていることが分かると、買い物好きでお金を使い過ぎていないかというところ以外は特に心配をしなくなった。
一人暮らしはいい。人目を気にしやすい私にとっては、近所迷惑にならない範囲で好きなタイミングで家事をしていいし、ご飯を食べるのが面倒なら食べなくていいし、誰からの視線もないというのがとにかく楽である。
確かに、実家に居た時より自由に使えるお金は減ったし、何でも自分で用意して片付けるのを面倒くさく感じることもあるけれど、やっぱりこの6畳1K は私にとってシェルターみたいなものだ。ちょくちょく虫の侵入を許しているけれど。
しかし、たまに張り合いがないなーと感じるのも事実で、どんなに寝床をふかふかに整えても、たまたまおいしくご飯を作れたとしても、その喜びとやってやったぜ感も一人で消化しないとならないのは少しさみしい。
かといって誰かと一緒に住むことを考えると「えー、めんどくさそう」という思いが勝ってしまうのである。私は人目を気にするがゆえの見栄っ張りだから、たった一人が暮らしに加わっただけで、今、ほどよく心を傾けられている家事に対しても(毎日完璧にやらなくては)と急に肩の力を入れて生活することになるであろう。それは嫌だ。
たまに、「週末いきます」とほぼこちらに選択の余地のない連絡を寄越して、一日我が家でのんびり過ごして帰っていく男がいるが、その時はやっぱり掃除も炊事もいつもより慎重に丁寧に、そして緊張感をもって行っていると感じる。「おもてなしモード」になってしまう。
向こうも私のおもてなしもモードを察知してなのか、実家以上の上げ膳据え膳状態にに多少の居心地の悪さを感じるのか、皿洗いや風呂掃除の請負を申し出てくれる。しかしうちのシンクは狭いから皿洗いにはコツがいるし、もしお風呂掃除をお願いしたときに毛やらぬめりやらがあったら嫌だな、と思って辞退してしまう。
その辺が吹っ切れた時が何かの変わり目かもしれないけれど、母譲りの「一人でやっちゃった方が早いし、全行程を自分で行う安心感ってものがあるのよ」をがっつり受け継いだ私はやっぱりお手伝いを頼めない。
そんな可愛げのないことを考えつつ、でも心のどこかでたまの来訪を楽しみにしている。
この小さな部屋の外からは、私が生きているのか死んでいるのか、踊っているのか泣き伏しているのかわからない。そんな状態の中にいる安堵感と、部屋が完璧に整っているときほどやってくるさみしさとの間で、今日もせっせと洗濯物を片付けるのである。