変わり玉記録帳

日記・文章を載せる場所。個人文章道場も兼ねる。脳みそ断片保管庫宇宙本部。

真昼の七夕

男の腰巻の話の前に、今日は七夕ですので、少し、ロマンチックな話を書きたいと思います。

 

私の七夕の思い出は、小学生の頃短冊に「不死身になりたい。」と書いていたことぐらいでしょうか。小さい頃は小さい笹を買ってもらって自宅に飾るなどしていましたが、だんだんそういったことからも離れ、最近私に最も「七夕」を意識させるのは、商店街のキャンペーンや、Twitterで流れてくる大学生協の面白願い事、織姫と彦星の二次創作(と呼べるのだろうか?)めいた、ちょっとお下品なツイートくらいです。

 

七夕と聞くと天の川や夜空を皆さん連想すると思いますが、私は今日みたいに底抜けに晴れた昼間の時間帯が一番好きです。だって夜になると本当は織姫と彦星のための日なのに、それにかこつけて皆いろいろ言うし、するじゃないですか。

 

その点昼間の空は、宇宙は、秘密がいっぱいです。月も星も見えない。天体だけの自由な時間。みんなに隠しておきたいこと、人前では恥ずかしくてとてもできない・言えないことが何でもできる素敵な時間です。

(真昼の講義をさぼって一人暮らしの恋人の家に遊びに行く大学生みたいですね、私は真面目なほぼ出席組だったのでそんな経験はありませんが。)

 

私が織姫なら(自分で言っていて寒気がしますが)、誰も知らないうちに、多くの人間たちに見上げられてしまう前に、勝手に願い事を掛けられてしまう前に、日記を持って彦星のもとにダッシュして、1年間にあったことを面白可笑しく、たまには神妙に話し合うでしょう。

 

「ちょっと老けたんじゃない?」といいながら手や顔のしわをなでたり、「もう何年こうしてるかわからないけど、楽しいものはたのしいし、嬉しいものはうれしいね。」なんて恥ずかしげもなく言えたりしてしまいそうです。

真下に見える水色の球体が、なんだかそわそわと動き、ゆっくり、でもあっという間に、一周くるりとまわるその動きを時計代わりに眺めて。

「あ、もうあの緑の塊があそこまで来ているよ。そうかー、姿が見えちゃうまで、帰るまでもう少しだねえ、何しようか、考えると浮かばないね。」

 

そう考えると一番印象を強く残したい暇乞いの時間に、地球が暗くなって、自分たちが〝きちんと″星として輝いてしまうのは悲しいね、と照れ屋も照れ屋、街中で手を繋ぐなんて以ての外!ハァ?駅でチュー?と、考えている私は思ってしまいます。

でも意地っ張りだから、泣かずに、「ほら、毎年夜になるとこうなる!!」とむくれてみせて、一人きり機織りの前にある椅子に座ったときに、やっと素直にぽろぽろ泣くのでしょう。

 

最後には、きっと、「今年も楽しかったよ。来年までにやること考えておこうね、面白いネタは忘れないように。ありがとうございました、それではまた。」と軽く手を振って、帰ります。お互いを見送って、身をひるがえしたあとの表情はきっと、ひとつの詩になるそれ、なのです。

一言では言い表せない幸福と、離れるときの気持ちは、悲しみなのか寂しさなのか。

遠距離恋愛をしたことのない私には到底知りえない感情です。

しかしそれが写った顔はとても美しいのでは、涙でさえ、そこにあるべきものとして散りばめられた宝石のように見えてしまうのでは、と思うあたり、私はまだまだお子ちゃまです。

 

 

そういえば、手紙、電話、メール、LINE、恋人と連絡を取る手段は現代日本にはたくさんあって、それは一度宇宙に飛ばされてから相手の端末に届きますが、実際宇宙に住む彼らにそういうものはないのかしら?

 

そういうもの持っているとロマンチックじゃないから持たせない方がいい?持たせてあげるべき?どう思いますか?

 

まだ空は明るい。早く、でも焦らないでね。

いまのきみたちはきっとなによりもうつくしい。