変わり玉記録帳

日記・文章を載せる場所。個人文章道場も兼ねる。脳みそ断片保管庫宇宙本部。

フリーランス爆誕裏話と本音

先程、「父の同僚から仕事がもらえることになった」と書きましたが……

 

その人父の(多分)愛人なんですよね。

 

まあ、その同僚女性、なんかいま父と自宅兼事務所に住んでるらしいので、私は勝手に「愛人兼同僚」と呼んでいる。

 


とりあえず父・実子・愛人で今度打ち合わせと称した食事会をすることになった。

 

 

致し方ないとはいえ面子が最悪である。

仕事くれとか言っときながら普通につらい消耗確定。多分寝込む。

 


ドロドロエピソードのせいで父との距離感はめちゃくちゃ遠いし、なんなら上司以上に人となりをよく知らない。

 


それにずっと離れて暮らしているせいで、会うたび(へえ、これが私の父親なんだ……)と不思議な気持ちになる。

 


父への感情なんて、学生時代対して思い入れのない科目を担当していて、いまは名前すら覚えていない教授へ抱くものと同じレベルである。

 


ゼミの教授の方がよっぽど私にとって愛すべき「パパ」だ。

うう……ロマン派界隈の人に会いたい。

 


逸れたが、仕事は得たもののなんかモヤモヤする。

 

 

とりあえず実家の母には言えない。聞かれれば話すけど、積極的に父を頼ったなんて言えない。

 


無職の間の仕送りは母が管理している口座からなされていた。

 


小さい頃から「私に何かあったときのために」とドロドロの最中家がどれだけ貧乏になっても、積み立てを続けてくれていたのは母だ。

パートとして慣れないパソコン仕事を始めて、家計を助けてくれていた。

 


自立のための行為とはいえ、そんな母に対する裏切りのような気がしてならない。

 


でもお金がないと暮らせない。

 


お母さんごめん。

と思うと泣けてきてしまうが、私が選んだのだから最後まで責任を持って仕事を完遂し、これを秘密にしておくのか、どうするのかしっかり決めて動かなければならない。

 


とはいえ、やっぱりいまも結構きつい。

お父さんと一緒に住む間柄の女の人の仕事を手伝うのか……。

 


過去に一度拠所無い事情でお会いしたことがあるが、物腰の柔らかい女性だった。

もうおそらく、母や私たちと暮らしていた時間より彼女と暮らした時間の方が長いだろう。

 


彼女がポツリと言っていた

「この人はひとりでは暮らせないと思う」

という言葉は忘れられない。

 


お前なかなかデリカシーないな。

私、実の子供よ?  何もなきゃ一緒に住んでたはずの人間よ?

 


いま私がしているのは、心を切り売りしてお金をもらう行為なんだと実感している。

気の進まない仕事をお金のためにやることなんてこの先いくらでもあるだろう。

 


そう言い聞かせている。

 

 

とりあえず初仕事、まだ具体的には決まっていないが頑張ります。

 

 

父を頼るの、血が出るほど悔しい。身体掻きむしりたくなる。髪の毛引きちぎりたくなる。絶叫。

いつかそんなことしなくていいようになりたい。

 


暗いね。

 

仕事のことにしても、自身の思いにしても、望みを言ったらきりがないね。

ずーっと言っているが、安定を求めてガッチリ雇用されたい私と同じく、院に行きたい私もまだ心の中にいるし。

お金時間その他の面で、いますぐは実現不可能なことなんだけども。

 

 

仮に親に頭下げまくって生活費出してもらって、猛勉強して、日本女子大修士過程に進めたとしても、今から修士やって、博士とって講師やるのはちょっと非現実的です。アカデミアは遠いのです。

 


あのとき、熱心に院を勧めてくれた同期の言ってくれたことを、きちんと聞いて覚悟を固めておけばよかったといまでも後悔するのです。

結構真面目に何度もその道を示してくれた彼にはとても申し訳ない態度であったという思いを、ぐずぐずいうたびに感じざるを得ません。

 

(誰が見るか分からないブログだから名前は出さないけれど、「あれ、その同期って自分かも」と思う方、多分正解です。あのときはありがとう。薄っぺらな言葉だけども、活躍をいつも応援してます。大気圏突破の勢いで突き抜けてください。最先端をゆき、頂上を更新し続ける人になるのだろうと思っています、勝手に。これ読んでるか知らないけどね)

 


そこからいろいろ中途半端で、身体のことがあるにしろ、達成がないままここまできてしまいました。

 


それは多分、はじまりのときの覚悟が足りなかったから。

事を成してやるぞ、という肚の力が足りてなかったから、だと私は思っています。

 


院受験も「果たして私にできるのか」という迷いがあったから上手くいかなかったのです。

将来、憧れだけは尽きなかったあの世界でやっていけるのか不安だったのです。

 


私は恥ずかしいことに、確約された未来しか信じられない節があります。

 


「いやいや未来を確約させるのは私自身でしょ、かかってこい、誰がなんと言おうとやりきってスーパーでスペシャルになるぞ」

という暑苦しい性格だったはずなのに、知らないうちに周りにも自分にも、そして未来にも強く出れなくなっていました。

 


本物になるために虚勢を張って、なりふり構わず努力する私はいなくなってしまいました。

いまはただの腑抜けです。

 


人生において本当に諦めるべきことはなんなのか、敢えて考えずにきたことに嫌でも向かうタイミングがきてしまいました。

 


お金の稼ぎ方、夢の叶え方。

欲張りだから夢はひとつじゃない。何をどの順番で叶えるのか。

 


行きていく中で、進んでいく中で、夢でなくなるものもあると思っています。

 


そういう決断を続けて、私というものを作り上げるしかない。

腑抜けでいては死んでしまうところまで流れ着いてしまいました。

 


私は昔の私が好きです。いまの私は嫌いです。

 


好きじゃない自分が身体の中で図々しく「私」をやっているのが気持ち悪くて仕方ないです。

 


いま気づいたこと、向き合おうと決めたこと、そういうものと取っ組み合いをして、嫌いな私を追い出せないと私は内側から腐っていくでしょう。

 


そして自身の腐臭に耐えきれなくなったとき多分死んじゃいます。壊死です。

心が壊死したら肉体も死にます。体感、もうちょっと腐りかけてます。

 


強気の裏にあるものと戦うための心、外の世界と戦うための心、私を生かすふたつの心の火を絶やさない。

 


「死なないように」から「生きるために」へ、そして「胸を張って私自身を生きるために」へと変わっていくための機会が訪れたのだと思って、再起不能・救出不可かと思われた私を救いに行こうと思います。