バレンタイン狂想曲 その2
胸がどっきんどっきんいっている。
「My Birthday 」で読んだバレンタインの記事によると、赤は女の子の顔をきれいに見せる効果があるらしい。
「初心者でもできる簡単トリュフの作り方」「しっとりチョコブラウニー」「本命のあの子に! ハート型ガトーショコラ」
何度も足を運んで、メッセージカードやラッピングボックスを眺めて、でもなにも買わずに帰った雑貨屋。
とにかく集められるだけ集めたバレンタインデー情報で頭がぱんぱんだった。
小学校6年生、超お子ちゃまだと思われがちだが、その頃にはもうある程度私は私だった。
少ないお小遣い、オーブンのない家、お菓子作りの経験ゼロ。
でも、市販品で済ませたくない相手がいた。
周りから見たらバレバレの、でも意地を張って決して認めなかった私の初恋の話である。
前にも書いた人だが、成績優秀、賢くて話が面白く、ちょっとしたいたずらにも乗ってきて、少し目立ちたがりだけど、しっかりと難しいお受験のための塾に通っていたあの子だ。
いまも昔も、なんでこうも頭のいい人を好きになるのか(成人式で再開しましたが医学部に進んだそうです。めっちゃ頭いいよね)。
受験で近くの中学に進学しないことはずっと昔から分かっていた。
だからこそ日々を楽しく過ごそう、たくさん話そうと思っていたし、たまたまクラスも高学年の3年間同じだったため、委員会活動その他、なかなか濃い時間を過ごしたつもりだった。
だからこそ、2/14が怖い。
中学受験をしない私でも知っていた。2月は受験生にとって大事な月、進路が決まる月。
私がバレンタインについて悶々と考えている一方、向こうは来たる受験に集中しきっている。
顔は常にキッとしていたし、なによりも冗談交じりに話しかけたら鬱陶しがられてしまった。
どうしよう。なにも言わなければ楽しいまま卒業できる。
でも、なにも言わなければ絶対に後悔する。
しかし、私がちゃんと「やりきれるか」自信がない。
その頃の私は小肥りで、短髪。動作も言葉遣いもガサツで、悪いことがカッコいいと思い込むお年頃真っ盛り。
付け焼き刃の努力では、決して「チョコレートをもらって嬉しい女の子」になれないことは自分でもわかっていた。
恥ずかしい。こんな私が一丁前に片思いをしていることが恥ずかしい。似合わない。もっと可愛ければ。もっと細ければ、もっと頭がよければ。
そんな思いが何度もよぎり、結局バレンタインの準備ができないままだったのだ。
少ないお小遣いやお年玉の残りで買う材料・ギフトボックス・カード。
意を決してそれらを揃えた。
しかし。なにを作るかをきちんと決めていなかった。痛恨のミス。
変なプライドのせいで、溶かして固めるチョコは手作りとは言わん! とミニカップなどを買ってきていなかった。
困り果てて、とりあえずアルミ箔になるべく丸くなるようにチョコを垂らして固める。
きれいに仕上がるわけがない。
お菓子作りなんてしたことがないし、親もなにが作りたいのか分からなければ手伝えない。
それに本命チョコだから気合い入れたいんです、なんて言えるわけがないので、あるもので勝負するしかない。
不恰好に固まったチョコの中でも比較的きれいなものに、ハートやニコニコマークでも描けばいいものの、なぜかデコペンで一文字ら「乱」だの「悪」だのを達筆でしたためていた。
厨二全開。
しかも書道を習っていたお陰で無駄に字がきれい。
(まあ、これがいまの、そして普段の私なんだ……)と半ば悟りきってラッピングをして、翌日2/14、「顔をきれいに見せる」赤い箱に入れたチョコを持って登校した。
最終学年ということもあってか、例年に増して色めき立つクラス内。
にこやかにチョコを配り歩く子もいれば、数人に絞ってあげる子など様々。
中休み、昼休みと時間は過ぎる。
でも人前で呼び止めて手渡すことなんかできない。
担任の先生には好意はもろバレで、
「チョコあげないの~?」
とからかわれていたが、顔を真っ赤にして
「お世話になってるからあげるかも」
と大人ぶったことを言ったのは覚えている。
いつだって達者なのは口だ。
その口に頼るしかない。
誰もいない昇降口に姿を見つける。
遠くから
「渡したいものがあるからちょっと待って!!!」
と叫んだ。
叫んだ。
叫んだら、なにも言わずに猛スピードで走っていなくなってしまった。
バレンタイン、終了。
追いかける気にもなれなかった。
私も昇降口に向かってそのまま帰宅。
(うっわ明日から気まず~~。卒業近いのにいつほとぼり冷めるんだろう。やっちまった~~)
家に着いて、チョコの入った箱を出した。そのままにしておくわけにもいかないので自分で食べた。
私の顔や心と同じくらい不恰好で不細工なチョコを食べたら泣けてきた。
渡したら渡したで黒歴史確定な代物だが、やはり受け取ってほしかったんだろう。
でも、好意のかたまりであるこの箱は、ランドセルから出されることもなく、そのまま家に帰ってきた。それが相手の気持ちを一番に物語っているといえる。
察しの悪い私でも、今日の出来事がなにを表しているのかは理解していた。
人生で初めての、はっきりとした失恋だった。ほうほうこれが失恋か、なんて構えていられなかった。
もう口を利けないかもしれない。嫌いだ、と言われるかもしれない。せっかく楽しく過ごせていたのに、とんでもない距離が、溝ができてしまうかもしれない。
さまざまな「どうしよう」がチョコをひとつ食べるごとに浮かび、浮かんできた「どうしよう」は涙になった。
そうやってバレンタインが終わったあと、やっとみんながレシピを忠実に守り、ときにはおかあさんの手を借りてお菓子をつくっていたこと、家族にあげる用で練習をしていたこと、初心者向けお菓子作りキットなるものがあること、オーブンがないと私の思い描いていたものは作れないことなどを知る。
私はお菓子作りのスタート地点にも立っていなかったのだ。
悲しい事実。
渡せなくてよかったのかもしれない。あの子の綺麗なおかあさんがギョッとするであろうものが手に渡らなくて本当によかった。
それからどうなったのか知らないが、普通に仲良く過ごして卒業した気がする。変に度胸がついたのか、
「昨日は呼び止めてごめんね~~」
とか言ったような言わないような。
向こうも
「受験のときつんけんして悪かった」
とひと言伝えてくれた、周りが開放感でポワポワしている中、なんて大人な小6。
いまとなってはすべてが曖昧だ。
でもしっかり、スピッツの「君が思い出になる前に」が好きだったことはよく覚えている。
こっそりスプレーのりで遊んだ日、落書きをしたこと、ブラックジョークでにやりと目を合わせたこと、挑発するように下ネタをふっかけてきたこと。
もうその人には「過去個人的にすっごい好きだった人」以外の思いはないが、どうでもいいことも結構覚えているもんだと我ながら思う。
そうしたドタバタもセンチメンタルもすべて思い出になって迎えた成人式。
偶然にも再会したので、昔は受験で大変だったのにごめんね、いま塾講師をしていて2月のあなたにどれだけ面倒な絡み方をしたか反省している、と伝えた。
それからは大学の話や思い出話、おめでたいムードも手伝って会話は弾む。
当時に比べてだいぶ落ち着いた私に向かって、彼は
「お前は不良になると思っていた」
と言った。いくらなんでも私のことをわかっていなさ過ぎる。
確かに彼にとっての私の最後の記憶は「悪い=カッコいい」のスタンスを取っていた奴だったかもしれない。
でもあなたが変わったように私だって変わりますよ。
あ、これチョコあげなくて正解だったわ。あなた思ってた以上にお坊ちゃんだったのね。
未だにクッキーひとつ焼けない私のような女より、週末には手作りのお菓子を焼くような人を見つけられたらいいね、と心で呟いて、手を振ったのであった。
不器用なバレンタインの話はまだ、続く。