変わり玉記録帳

日記・文章を載せる場所。個人文章道場も兼ねる。脳みそ断片保管庫宇宙本部。

余裕なく溢れるもの、それは

Twitterには本当にどうしようもないことしか書いていない。

 


やれバイト先で片言の英語を話しただとか、山に登って楽しかっただとか、バレンタインが意外と近いとか。

 


本当に独り言で、誰が見てもつまらないと思うけど、ブログ含め発信目的では使っていないので、もう割り切っている。

ブログは少し読んでみてほしいな、という欲はあるけど、本当に有益なことは書いていない。

 


もう日常が固まってしまい、たまにいる「普通に生活していても面白い事柄が向こうからやってくる人」でもないので、思考垂れ流しな感じになる。

 


そこで思うのは氏の存在はやはり相当にありがたいものであるな、ということである。

 

彼のネタが多いことからもわかるように、日々の中で結構な役割を果たしてくれている。

現に日常的に肉声でコミュニケーションを取っている人間はバイト先の人と彼、くらいなものである。

事務的な事以外の会話は、ほとんど頼りきりだ。もちろん友達と会うこともあるけれど、そう簡単に予定を合わせられるわけではない。

 


ちょこちょこツイートしているように、結構トンチキなこともするし、寝癖はまだ直らないし、むしろ無精髭生えたまま来るようになったりと、「なんだかな感」は尽きない人であるが、それ故に

(いや、それ他の人は文句言うって……)というようなことも許したり指摘して直したり見て見ぬ振りをしたり出来るだけの余裕を、私はあなたに持てます。

というある種の優越感も得ている気がしてならない。

 


そのあとに続く言葉によって私が関係性をどう捉えているかがわかり、そしてさらにそれが自分たちにとって、健全か不健全かであることが判断できると考えている。

 


私はカッコつけなので、自分がツッコミに徹したことしか書かないけれど、こちらもかなり小言を言われている。

 


SNSでは頼りなく見えているかもしれないが、時間やその日のスケジュールも意外とサクサク決めてくれる。

 


人生に迷いがちな私を受け止めつつ、私を縛るものを解き、焦って手離してしまったものをまた握らせてくれる。

 


私の精神年齢が15歳くらい後退してしまったときも、ちゃんと実年齢まで引き上げてくれるし、言うべき正論は甘やかさずぶつけてくる。

 


それでいて自分が究めたいこと、やりたいこと、やるべきことに向き合う時間、没頭をきちんと作っている。

すごく好ましい。

 


できた人なのだ。そしてできる人なのだ、本来。

 


前にも何かの記事で書いたことがあるが、初っ端から大当たりを引いてしまった感が否めない。

 


いやいや、鶏肉しか食べたことがなかったら牛肉の美味しさは分からないよ。

 


確かに。私には比較ができない。他の人とお付き合いしたことなんてない。一度出かけたことがあるくらい。

 


でも1人の人間としてみたときになんの文句もないのでいまに至り、愛と尊敬ゆえの愚痴をいつまでもこぼすのである。

だってそれがないと私の中でバランスが取れないから。

 


オタクで、友人とオンラインゲームをするために私を置いて帰るほどゲームが好きで、身嗜みの知識は中学生並み、虚弱体質でヒョロガリ。その気になれば私の方が飲めるし食える。

 


散々言っているように見えるが、こんなのは「多分一般的には歓迎されないであろう」外側だけ、いわゆるキャッチの強いものだけなのだ。

 


おそらく狂えるくらい中身を好いているから、そこに対し敢えて落ち着いた態度をとることもできるのだと思う。

肚を決めた話合いもしなければ、とも思えるのだと思う。

 


向こうは、環境含め自分には出会いを探すなんて無理だ、とよく言っているけれど、中身がちゃんと伝われば、結構あなたはいい男だよと何度も言っている。

これもある意味、外見では勝負するなという貶しに捉えられかねないけれども。

 


私はこうして余裕ぶっていながらも、飽きられないように、呆れられないようにアップデートしなきゃな、と内心焦っている。

 


魅力的な人はこの世にごまんといて、私なんかよりよほど深くて才覚があり、見た目も素敵な人で溢れている。

 


本当は余裕なんてない。やれやれ私がいなきゃなにもできないんだから、なんて思ってない。

頭がいいんだからその気になればなんだって調べてすぐにコツを掴んでこなしていくだろう。

 


そう思うとたまに自分の存在意義を疑う。

可愛い可愛いと愛玩動物のように扱える訳でもなく、業種がまったく違うため仕事の苦労も分かち合えない。

 


ゲームにもアニメにも疎く、数学は高校1年生で完全についていけなくなっていて、論文を読ませてもらっても分からないことだらけで読み終えるのにものすごく時間がかかった。

 

 

なぜ正反対の方向に突出した私なのだ。

無趣味でなにもない私なのだ。

なにもプラスになることを提供できない私なのだ。

 


お付き合いを始めた頃の、バリバリ仕事をこなし、臆せず意見を述べ、リーダーシップをとっていた私ではなくなってしまったのに、なぜまだここにいる?  むしろなぜせっせと世話を焼いている?

 


怖くて訊けない。

訊いたらすべてが終わる気がする。

 


むしろ、訊くなら終わるときに、と決めているくらいだ。

 


私がそのときいようがいまいが、山があろうが谷があろうが、とにかく未来永劫幸せであってくれ、と強く願う。

 


具体的にはなにも言えないけれど、とにかく幸せでいてくれ。健康に過ごし、心の温かくなるものの側にいてくれ、死ぬまで。お願いだから。

 


もう強く思いすぎて泣いている。ちょっとした祈りである。

 


舞城王太郎氏の小説の冒頭に「愛は祈りだ。僕は祈る。」という一節があるが、私のこの行動が祈りならば、胸に宿り私を包む感情は間違いなく愛だ。

 


こんなこと口が裂けても言えないし言わない。

勝手に幸せを祈って泣いています、なんて。

 


彼が幸せに過ごすことを、神様に祈るわけではなく、その祈りをひたすらに放出している。もしくは私の中で醸成している。

そして気持ちが高ぶったときに無言のままダイレクトアタックで祈りを飛ばしている。

 


こうなると「祈りとはなにか」と祈りの定義を探りたくなるが、辞書を引くと「強い願い」なる意味で掲載されているので、今日のところはこれでよしとしよう。

 


幸せがイメージしにくかったとしても、不幸せにはならないで。

 


お願いだから好きなものを手離さないで。

つらいときも踏ん張れるような環境にいて。

理不尽を理不尽だと言えるようでいて。

つまらないことで聡明さを失わないで。

おいしいものを食べて。

死ぬまであなたの好きなあなたでいて。

 


私の存在と思い出がどうか疵になりませんように。

 


正直、頭を悩ませてしまっているだろう私の問題とあなたを、早く切り離したいと思っています。

最初は戸惑ってもすぐに日常に戻っていける。

 


こうやって勝手に願望をぶつける私は何様なのか。最初に書いた優越感が大いに絡んでいる気がする。

 


本当は余裕なんてない。私の方がその存在に助けられているのに。

焦った私がインスタントな余裕モドキとして私が拵えたのが「私しかこんなの受け入れないんだからね!」という優越感なのだと思う。

お互い誰のものでもないのに。

 


その優越感が勝手な祈りや願いを生んで、さらにはそれが愛だ、なんてまったく筋が通らない。

私の愛情は余裕モドキから生まれたのだとしたら悲しすぎる。

 


多分、多分だけれど、私は自分の中の愛情に気づいた時、大きな恐れを抱いたんだと思う。

これは友人や親しい人々のことを考えたときにも起こることなのだが、予想外に育った愛情に自分で怖気付いてしまうことがある。

 


その感情に触れたら自分がどうなってしまうかわからないから。だから一旦蓋をする。

でもその間にも気持ちは動き、いい頃合いで成長を止めるものもあれば、目を背けたくなるスピードで膨らむものもある。

 


きっと私は彼に対する愛情が後者にカテゴライズされるものだということを早々に気づいていた。

 


溢れ出したら自分はどうなるのか。常に制御しておかなければ、危ない。

そう判断して、私が私に振り回されないように、張りぼてでも構わないからと、嘘の余裕を自分にかぶせて、優越感を持てる立ち位置を拵えたのだと思う。

私の中で起こる出来事の順番は逆だったのだ。

 


寝癖がついていても無精髭が生えていても、なにも言わずにいられるのは余裕からじゃなかった。優越感を感じたかったからじゃなかった。

むしろ注意して、疎まれていなくなられる方が怖い。嫌だ、と小言を言うたび思っている。

 


そのすべては愛ゆえだ。私が一番恐れる愛ゆえだ。育つことも、失うことも脅威である愛だ。指摘を恐れるのは間違っているかもしれない。そう言った葛藤も含め、きっとこれからも爆発と制御に悩まされる。 

 

このはちゃめちゃな愛の躍動は、健全なのか不健全なのかまだ私にはわからない。

 


そういえば2014年4月1日

「なぜOKしたの」

と訊かれた時も私は泣いていたと思う。そして、記憶は朧だが

「私が、一番好きなことに没頭していてほしいと思うのがあなただからです」

「好きなことやものの話を、あれだけ楽しそうに、誠実にする人だからです」

というふた言だけは覚えている。

 


その時から、いやその前から私の祈りははじまっていた。

 


あー、本当に相手を思う愛があるならば、小っ恥ずかしいことばかり言ってないで、せめて身嗜みの乱れとゲームのやりすぎぐらい指摘できるようになりなさい、という正論が閃く、明け方。