救いと呪い、私の言葉
文章が好きだから書いている、というのは大前提としてある。
けれど、好きとできるは違う。
私は上手くできないけど、ずっとずっと意地になってこのブログを更新し続けていた。
やめてしまったらそれきりだと思っていたから。
今日、諸用があって母にに電話をした。
近況、求職活動のこと。
どんな仕事に応募しているのか、と聞かれて何気なく、面接の段階だからまだまだわからないけれど、と付け加えて答えた。
「あなたはそっちの方が絶対にあってる。文章を書いたりものを考えたり、そっちの素養がある」
目がじくじくした。
声が震えないようにお腹に力を入れて、
「私もそう思って」
と言った。
でも本音ではそんなことはまったく思っていなかった。
電話を切って電車に乗ったら、暖かい空気に触れたせいか、涙がぼたぼた落ちてきた。
私は救われたくて、文章を書いている。
小さい頃から芸術のセンスがある人たちに囲まれて育って、真似事をしても私にはその才能がなくて。
どうにか付いて行こうとしても無理だった。
なにもないけれど、読み書きができる人ならば取り組むことが許されるのが、文章を書くことだと思っていた。
それでも同年代にも上には上がいるのだけど。
とにかく漂流する自我と、なにも持たない恥を助けるために私は何かを書いていた。
いまだってそうだ。
そんなことは他人の知る由も無いことだろう。親とてもう思春期を過ぎてしまえば、子供がなにを考えなにを生み出しているのか、それに尖るものや光るものがあるのかは、はっきりわからなくなると思っていた。
それでも、それでも。
最寄駅に着いて、すぐに電話をかけ直した。泣きながら、私にとって先ほどの言葉がどれほど価値のあるものだったかを伝えた。
「昔からよくほめてたじゃない。本人には当たり前だったのかもしれないし、親の欲目もあるだろうけど、オノマトペの感覚が飛び抜けてるなあ、とか言葉選びも適切で尖ってる部分があるなと思ってたよ」
「それに、よく喋るあなたの話は整っていたしそれを楽しく聞いていたけどなあ」
電話の向こうの声は呆れていたが、確かにそうだった。小さい頃はたくさん褒めてくれていた。たくさんの言葉と本を与えてくれた。
私の生み出すものはすべて受け止めてくれていた。
「あなたはどうしても結果を急ぐけど、まだ若いんだから。いろいろやってみて、これというものに当たる人がほとんど」
「とくにあなたは我慢して不向きなことを続けられる人じゃないでしょう。いまわかったなら、いまから積み上げていけばいい話なんだから」
涙声で返すしかなかった。
好きなことをするには私にとって勇気が必要だ。でも私のなかで怯えて竦んでしまっていたものが少し動いた。
「大学の専攻を決めるときに散々、文学部か国語科に行きなさいって言ったじゃない、頑なに英語が楽しい、と言って動かなかったけどさ」
と文句も混じってきたが、
「でも、それも糧になっているとは思うけどね」
と初めて肯定的な言葉も出てきた。
「私だけじゃなくて前の職場の人も評価してくれてたんでしょう?」
今日は一体どういう日なのだろう。
私にとって母は魔女だ。
呪いもかければ魔法もかける。
今日彼女は呪いを解いた。しかしそれは私が私にかけた呪いだ。
どんなにその道のプロに認められても解けなかったはずの呪いを、ものすごい反響を得るものを書けたとしても解けなかったであろう呪いを、強力な魔女たる母は簡単に解いてみせた。
むしろ母にしか解けない呪いだった。
私は彼女に認められたくて、追いかけて、その途中で何度もぼろぼろになった。でも自分を助け救うために、自力で呪いが解けるほどの力をつけられるように文章を書き続けていた。
それが今日まで。
明日からも私は自分を救うために文章を書くのだろう。でも、真っ黒いしこりはひとつ取り除かれた。
当たり前なのかもしれないけれど、私は彼女には勝てない。
今日は確実にに私の中で何かが動いた日だ。でも私がなぜ下手くそなくせに文章を書くことにこだわるのか、そこに助けを求めるのか、という問いに対する答えは簡単に出ない。
まだ私の筆は救いを求める。
自我の断片を書き、恥を綴り、とりとめのない思考を記録する。
焦ってはいけないけれど、「まだ」それでもいいらしい。
それに移り変わる己の内面を常にベストな状態で、正確に書き記すことは不可能だ。
書いているいまこの時も時間は流れて変化が起きている。
それでも。
書き留めておきたいことを、私の言葉で、これからも書いていていいのだな。
好きなものを、憧れている世界を、そして幸いにして、そこに少なからず適性があるという事実(指摘)に破れものに触るような慎重さでもって改めて向き合う。
駅に置いてきた呪いにさようならを。
ひとつの家庭の中で、不向きなものを欲しがりもがく必要は無くなった。
救いをもたらす世界は思っているよりも広いことも知った。
覚悟を決めるにはまだ心はしっかりとした形をしていないけれど、私は好きで書いているし、やはり上達に救いを求めている。
でもそれすら言葉にできなかった私とは訣別できた、と思っている。
身にこびりついたものをこそげ取っていく、苦しい時は絶対にまたやってくる。
新たに身につける重いものもあると思う。
そんな日は今日を思い出して、進む。
*
私の名に込めたものが、名付け親から見て、しっかりと開花していたことに対する安堵。
自分でも重く考えすぎだと思うが、歳を重ねるごとに名乗るのがつらくなっていたこの名前に見合う人物でいたいと思う。
言葉には力がある。使い手すら圧倒する力がある。