変わり玉記録帳

日記・文章を載せる場所。個人文章道場も兼ねる。脳みそ断片保管庫宇宙本部。

「幸せっていうのはね」――同期の結婚に寄せて

幸せほど個人の主観で様々な定義づけをされているものはないと思う。

国民的菓子パンヒーロー、アンパンマンだって「何が君の幸せ」と問いかけているレベル。

 

 

そういう「幸せっていうのはね」に続く言葉に、「目には見えないものなんだよ」というのがある。し、節目節目で結構使われるフレーズな気がしている。

 

 

でも、そんなことはない。私は、いや私だけじゃない。周りにいたすべての人が、あの日「幸せ」を目撃した。幸せの目撃者になった。

幸せの目撃者になること自体とても幸せなことである。幸せは連鎖するものであることが分かる。

 

 

なんか幸せ幸せ言っていると変な新興宗教に傾倒してしまったんじゃないかと心配されそうだけれど、それくらい同期の結婚というものは、私にとって喜ばしくて特別なものだった。

 

 

幸せを目撃したのは2018年8/18都内某所。披露宴にて。

 

 

「新郎新婦が入場します」

滑らかな司会の言葉とともに扉が開いた。

緊張してないかな、もともと感動屋の彼女のことだ、もう泣いていたりして、などと思いながらカメラを構えていた。

 

 

笑顔の新郎新婦がそこに立っていた。ふわふわした純白のドレスを膨らませるようにして歩く同期の顔は、高校時代あんなに長い時間を共にしたのに初めて見るものだった。幸せそのものだった。

 

 

彼女の名前を出せば、関わったことのある大半の人は「笑顔」という言葉をキーワードとしてあげるだろう。それくらいよく笑っていた彼女だけれど、あの日の表情はうまく言葉にできない。ここで30分くらいどういう言葉を使って表現すればいいのか迷ってしまっている。

 

 

晴れやか? にこやか? 穏やか? 

楽しそう? 嬉しそう? 幸せそう?

 

 

言ってしまえば上に挙げた全て、そしてそれ以外の物も含んだ、笑顔だった。

強いて言えば、私だけかもしれないが、ひと目見るだけで安心することができる、そんな表情だった。

 

 

終始自分らしくいられたと後で話してくれたが、集まってくる人みんなと笑顔で話していた。

主役だけれど同時にホストでもあることはすごく難しいのではないかと、結婚式も披露宴もやったことがない私は勝手に想像してしまうが、高砂に座る2人はそれを自然体のまま完璧にこなしていた。

会場を見渡すともちろん知らない人だらけである。それでもみんなが幸せそうに過ごしていることが伝わってきた。

それが2人の披露宴が大成功していることの何よりの証明だな、とお酒をぐいぐい飲みながら考えていた。

 

 

宴の途中途中に2人にまつわるクイズや、二人のなれそめから結婚に至るまでをパラパラ漫画(手描きアニメーション)にしたものなどが、会場をわいわいと盛り上げたり、感動の涙でいっぱいにしたりしていた。

 

 

余興を用意した人達から伝わってくる愛情や友情はとてつもないものだった。

これも勝手な想像になるが、きっとふたつ返事で引き受けて、時間や手間はもちろんのこと、何より心血とあたたかな気持ちを注いで作られたものに違いない。

と、全く余興に関わっていない私が断言できるほどだった。

 

 

2人がそれぞれ、人の気持ちを思い遣ることが出来るからこそ、誰もさみしくない、そしてみんなが幸せというものを体感できる空間が出来上がっていたのだと思っている。

 

 

そしてあっという間に時間は過ぎ、新郎新婦退場の時間となった。

また、にこにこしながら、でもちょっぴり最初にはなかったほっとした表情で、やっぱりドレスをふわんふわんさせながら、お辞儀をして出て行った。

 

 

その後私たちは同級生だけの2次会へと流れたが、誰もパーティーや2人のことを悪く言う人はおらず、よかったね、よかったね、と言い合いながら、店へ向かった。

 

 

きっと何が「よかった」のか考えていたことは、重なるところはあれど、バラバラだったのではないかと思う。

 

たとえば私なんかは、パーティーそのものがよかった、ということと、これは別の場所でも述べたことだが、しっかり者で正義感が強く気の利く彼女だからこそ、素敵な旦那さんを見つけてくれたことが嬉しいな、よかったなということを改めて思い返していた。

 

 

そうしてついた居酒屋では再び思い出話に花を咲かせ、新婦の飛び入り参加で盛り上がりお開きとなった。

 

 

幸せほど個人の主観で様々な定義づけをされているものはないと思う。

そういう「幸せっていうのはね」を説明するフレーズに、

「幸せは歩いてこない だから歩いていくんだよ」というのがある。

 

私が引用するにはちょっと古い歌だが、きっとみんなどこかで聞いたことのあるものだと思う。

 

あの日私が目撃した幸せは、まぎれもなく2人が歩幅を合わせ、進んだり戻ったり少しわき道に迷い込んだりしながら手に入れたものなのではないだろうか。

 

その幸せの一部を、2人と会場いっぱいにあふれる楽し気な笑い声や、感極まってあふれた涙を通して目撃したのだと思っている。

 

 

招待してくれて、そして本当にあたたかく穏やかな幸せを見せてくれてありがとう。

胸がいっぱいになるとはこのことかと思いました。

そして、人生において大きな行事をひとまずやり終えた姿を見て、私もしっかりしよう、未来から目を背けずに少しずつでも進もうと思えました。

 

あなたのおかげで、高校生の時ぶりに私の心が大きく動きました。

いつでも私に大事にしなければいけない何かを残していくあなたには昔から感謝しかありません。あ、ちょっぴり羨ましく思うこともあります。

 

どうかどうか幸せになってください。旦那さんに目いっぱい頼って甘えてください。

いつだって強くあらねばならないわけじゃない。でもあなたはきっと自分の持ちうる強さを発揮するタイミングを見極められると思っています。

 

くっきりとした幸せを見せてくれてありがとう。

2人がこれからもずっと思いあって過ごしてくれたらと思います。

 

それでは、またね。