変わり玉記録帳

日記・文章を載せる場所。個人文章道場も兼ねる。脳みそ断片保管庫宇宙本部。

瑞々しティーンエイジのはじまり

Twitterにもガシガシ投稿したけれど、小学校高学年のとき、私は頭のいい男の子に片思いをしていた。


当時の私は健康診断に引っかかるほどの肥満体で、顔残念、でも目立ちたがりで応援団長や学芸会で主役をやり、自分作の新聞を発行するなどなかなかモテなさそうな見た目と態度で小学校ライフをエンジョイしていた。


例の男の子(以後秀才くん)とはクラス替えをしたときに隣の席になった事がきっかけで話をするようになったのだが、思いの外話が合い自然と仲良くなる。


単純な性格だから気がつけば秀才くんを好きになっていたが、上記のスペックでは秀才くんどころか、誰にも相手にされない。もう小学校中学年にもなれば自分と周りの子の差は何となく分かる。流行っていたジュニアブランドの服も似合わない事は分かっていた。


秀才くんもちょっとだけ目立ちたがり屋のきらいがあった。私も入っていた生徒会の小学校版に立候補したり応援団に入ったりと塾通いがあったのに中々忙しく校内を走り回っていたように思う。だから話すことも多く、普通に友達として仲良くやっていたけど、私=へんてこなバカというキャラクター設定は崩れないままだった。女の子ではなかった。


ある日「お前、受験しないの?」と訊かれた。「お金ないし私みたいなのができるわけないじゃーん」今でもそう答えたのを覚えている。
当時の我が家は家庭内が修羅場だった上に財政難を極めていたため、通塾費や受験費用、高額な学費などを思うと口が裂けても受験したい、だなんて言えなかったのだ。第一、「私はバカだ」の呪いで自分が受験するなんて考えたこともなかったけれど。


そんなこんなで受験シーズンがやってきた。だんだん放課後の付き合いも悪くなる。放課後でなくても秀才くんは怖い顔をしている事が増えた。へらへら話しかけると迷惑だと言われた。


塾講師を経たいまなら分かるけれど、相当なプレッシャーを背負っていたに違いない。悲しいかな当時の私は受験のために学校を休む子の噂を何となく聞き流しながら、大変だなーと思っていた。秀才くんは休まず登校していた気がするが、雪の日でも半袖半ズボンだったのに、受験の年は長袖を着ていた。それが一番私に変化を感じさせたのがいかにも小学生だなと感じる。


受験が終わり、声をかけられた。極力関わらないようにしてたのに何じゃいな、と緊張しつつ応じると、受験前のつっけんどんな態度と八つ当たりしたことを謝られ、受験の結果を教えてくれた。


周りのみんなが解放感にあふれた顔で過ごす中、己を客観視して振り返り、かつ初めての受験の重圧で気が立つことは致し方ないことなのに謝罪までできるなんて、なんて人間のできた人なんだろうと、あと1ヶ月で離れ離れになることを寂しく思った。


卒業式が終わり、その後秀才くんと再会するのは成人式になるのだが、あいつはとんでもなく私のことを誤解していた。


私も当時の彼に倣って
「受験があったのにうるさくしてて申し訳なかった」
と詫びたら、もう過去のこと、と許してくれ、その代わりに現在私が何をしているか、どこの学校に通っているかなどをものすごい勢いで訊かれた。
(なんであんなに似合ってた眼鏡を辞めてコンタクトにしちゃったのかなあ)と個人的なフェチからくる不満を飲み込みながら答えた。


そうしてひと通りこちらの現在を話し終わったら、
「お前は不良になると思ってた」
と言われたのであった。


だーれが不良じゃ、私は生粋の小心者の生真面目だ、もしやこいつ、人見る目ないなと思う一方で、その時私の幼い初恋が長い時を経て幕を閉じた気がした。


いくら毎日必ずおしゃべりするほど仲が良かったとて、ここまで誤解されていたとなると、やっぱりきみは私の運命の人ではなかったんだね、とすごくさっぱりした。大人になる日に相応しい出来事であった。


ちなみに秀才くんはお医者さんの卵になっていた。見る目があったのは私の方かもしれない。逃した魚は大きいぞ、と小学生時代の私にそっと耳打ちして、写真も撮らず連絡先も交換せず(これは少し後悔している)に残りの成人の日を楽しんだのであった。