変わり玉記録帳

日記・文章を載せる場所。個人文章道場も兼ねる。脳みそ断片保管庫宇宙本部。

【前編】私もお嫁に行きたいのんー娶られ志願者の叫び

※この前に8000字を超える婚活に関する文章を書いたが長すぎるのでボツにしました。

 

婚活。

なんてライトな響き、一般にも浸透してきて、私くらいの歳の女が使っても何の違和感のない言葉にまで上り詰めた言葉、婚活。

 

 

しかし、私はトイレでふと考えた。「婚活」って略語だよなあ。婚、結婚。活、活動。

結 婚 活 動!!! 途端に響きが重い。さらに詳細に書くとなると、「結婚に向けての活動」、「結婚をするための活動」ということになる。ギラギラした意思と焦燥感、そしていかにして理想の幸せを手に入れて見せようか、という戦略までもがモロ見えである。

「婚活」という言葉を生み出したコピーライターさんはすごく優秀なんだろうなあ。

 

 

ぐだぐだ書いたけど要は「部活」って聞くとライトだけど、「部活動」になるとちょっと硬派で真剣みが増して聞こえるアレと似てるね、ってことである。

 

 

最近思う。「私って結構難しいお年頃に差し掛かってね??」

 

例えば私がアーティストや作家、研究者他専門職に就いていたら、人生経験も技術も知識もそこそこ積み重なってきて脂も乗り始める時期だろう(そもそも博士まで行ったらまだ学生だし)。だからそちらに没頭することをきっと私は良しとする。自分を生かすためのことだから。

 

 

でも私は残念ながら普通の人である。さらっと書くと持病のある普通の人である(大学卒業後に見つかった)。しかも女である。聞くところまだまだ日本の社会はちょっと女に厳しいようだ。

 

 

そうなると、どうしてもこういう考えが浮かんでくる。

 

 

「この先ずっと1人は不安だなあ」

 

 

↓その不安はこういった心の叫びに変換される。

 

 

「そろそろ誰か嫁にもらってくんねえかなあ!!!!!!!!!」

 

 

先ほども書いたように私は普通の人だ。美人でもなけりゃ、特段秀でたとこもない。

若さくらいしか有利なところはないが、2017年の統計資料によると日本には597,000人私と同い年の女性がいるらしい。

そう考えると若さなんざクソの役にも立たねえなってのが分かる。

 

 

でも若い女性の方が選ばれがちなことは事実である、というか私くらいの年齢になるともう第2次結婚ラッシュが到来している。

馴染みの美容師さんによるとあと3年後には第3次ラッシュがやってきて、そこからはとんとラッシュが起こらなくなるらしい。

 

 

つまるところ、すでに第2次に乗り遅れた私は、第3次を狙うしかないのである。

 

 

しかし!!!!

 

 

また厄介なのが下手に長く付き合ってしまった男がいることである。

それ自体は素晴らしいことだと思う。

 

 

でも、まっっっっったく未来が見えない。これからも付き合いは続きそうな感じ(この言い方からしてゆるい)だが、お前私をどうするつもりなんだよ、と声を大にして言いたい。

 

 

男の人は30代になってもお相手は見つかりやすいだろう。それこそ年下の女の子とか。

 

でもな、私はな、女はな、そうはいかないんだよ。すでに思ってもないのに自分のことを「BBA」なんて自虐しなきゃならないときだってあるのよ。

 

確かにお互い社会に出るのはちょっとばかし遅かったです。その辺はしょうがないでしょう。

 

 

けどさすがにノープランって不安じゃない??まだお付き合いして2年とかだったらわかるよ。

 

 

付 き 合 っ て 5 年 目 だ よ ! ! ! ! ! ! !

 

 

本人たちが一番びっくりしているが、とにかく今後どうするかを軽くでいいから考えておきたいところである。

 

 

正直に申し上げると、その気がないのなら私を開放してほしい。破滅したけど私の両親も30で結婚したし、第3次に乗っかってまとまっちゃいたいし。

 

 

今、蕁麻疹を腕に炸裂させながらキーを叩いている。

 

 

確かに気持ちはあるから別れは私にとってつらいだろう。でも今後50年のことを考えるとやっぱり不安なのである。

 

 

この感情は焦りだ。まごうことなき焦りだ。

私は恋愛経験レベルで言ったらクソ雑魚である。この人ならば、と思える次のお相手を探すのに一体どれくらい時間を要するだろうか。

きっとそう簡単には見つからない。茨の道が待っている。時間が欲しいのである。

 

 

あとは、早く実家を卒業したい。とにかく面倒くさい。一人暮らしをして分かったことだけど、実家は、もう大人になってしまった私にとって、過ごしにくい場所に変わってしまっていた。

 

 

よそで同僚女性(愛人じゃねえか)と暮らしている父は論外だとして、母ともぎこちなくなっていたのが、距離と時間をおけるようになって、少しなめらかになった。

妹とはほとんど口を利かないし。

 

 

きっとこのまま一人だと、堅実でしっかり者で何事にもぬかりのない父方祖父が建てた墓に埋葬されるだろう。それなら無縁仏の方がマシだわ、ってくらいあっちの墓には入りたくない。ていうか両親どちらの墓にも入りたくない。

 

 

だったら愛する伴侶と同じ墓に……なんて夢見てる方が、脳が楽。

 

 

とまあ、いろんな理由で自分でもびっくりするぐらい、結婚に焦っている。

これは婚活市場に乗っかるしかないのか? とまで考え始めたのでこの記事を書いた。

 

 

客観的に見て冷静さを欠いているのは分かっている。でも私は主観で生きている。

24時間常に自分を主観/客観ダブルの目線で見つめながら行動することは残念ながら私にはできない。

 

 

もう一度書くけれど、私は普通の人だ。何の才能も特殊技能もない。ギリギリ身につけられる年齢かもしれないが、今の私の状況を考えるとちょっと難しい。

そういう女が生き延びるには、安心して暮らすには、事実婚だとしてもやはり配偶者がいた方がいいのではないかと思う。

 

 

今まで書いてきたことは、「いかに私が不自由なく暮らすか」ということだけれど、本当は私だって愛し愛され暮らしたい。今まで一度も見てこなかった、男女が仲良く睦まじく暮らす、というのを体験してみたい。

 

 

よくワイドショーで取り上げられているような、30代で年収は800万~、料理が得意で子作りにも積極的で~、などと自分の理想ばかりを結婚相談所のスタッフにぶつけている女性達ほど完全に利己的になれず、ついうっかりすると結婚というものには幸せがたくさん詰まっているのではないか、という夢を見てしまう難しいお年頃に差し掛かってしまったのだ。

 

 

まだ人の結婚を素直に祝い喜べるうちに、私もどうにかなりたいものである。

幸せを妬み、嫉むようになってしまったらきっと、私も、年収ウン百万で~と言いだす、利己的で愛情は二の次、三の次な女達の仲間入りをするだろうから。

 

 

* 

 

 

もちろん、ある程度の経済力がないと暮らしていけないんだろうけどね。でも私が言いたいのはお互いが持つ経済力をお互いが求める生活水準や、スキルアップに使うことのできる間柄ですか? ということでなのである。

 

 

なんかどんどん落ち着いてきちゃった。

右腕を真っ赤に腫らして打ち込んだ魂の叫びが、いつか結婚に限らずとも、愛情によって報われる日が来るといいな。