変わり玉記録帳

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【子供だましラファエル前派の絵画とロマン派文学】~女性の運命と環~①

前書き

突然ですが、結婚指輪(婚約指輪)の起源を知っていますか?

そんなものとは縁遠い私。知らなかったので調べてみると、なんと古代ローマの時代まで遡るそうです。最初は鉄の環だったそうですが、それが2世紀まで時代が進むと金でできた指輪になったのだとか。さらに15世紀になると、ダイヤモンド研磨の技術も発達し、貴族や王族の間ではダイヤ指輪を贈るようになったらしいです。そして、その文化が一般市民に降りてきたのはなんと19世紀頃。欧米でも結婚指輪を贈るのが一般化したのは19~20世紀とのこと。

 

19世紀頃。1800年代。1700年代後半~1800年代前半はイギリス文学・芸術界でロマン派が台頭していた時代じゃないかーーーうひょーーー!!!

 

ということで、男女(の中でも特に女性)をテーマに書いた文学、そしてそれに関連づく絵画について今回は学生時代の復習も兼ねて書いてみます。

(19世紀も扱うので、ロマン派ど真ん中、というわけにもいかず、あとに続く時代、ヴィクトリア朝時代のことも扱います)

 

ちなみに、日本に結婚指輪を贈る文化が一般化したのは1960年代なんだって。割と最近。

 

さて、前置きが長くなりましたが、前はたらたら歴史を書くだけで終わってしまったから、今回は頑張るぞ。

 

 「環」の意味するところ その①

今日のテーマは「女性の運命と環」なので、まずは絵画の中で「環」というものがどう解釈されるのか、を書かないと進みませんね。

野暮なことを書きますが、皆さんが恋人とペアリングや婚約指輪、そして結婚指輪を贈りあうときはどんなときですか?

 

……まあ、平たく言うと「愛を誓いあうとき」でしょう。浮気の罪滅ぼしで買わされた、としても「これからはあなただけに尽くします」という約束を可視化したようなものだしね。

 

「ふんふん、やっぱり恋人から愛を誓う指輪をもらうって憧れ」とか、「いつか男の甲斐性見せていい指輪をそろえるんだ」とか思いながら、なんの違和感もなく読み進めているあなた! 指輪is 素晴らしいモノと思っているあなた! 日本にも上記の指輪文化ががっつり根付いたからかもしれないけど!

それに一夫一妻制だし、浮気はよくない、ダメなこと、添い遂げる is素晴らしい、という認識が当たり前だからかもしれないけど!

これって怖いことだと思いませんか? その指輪をはめたら最後。別れたり離婚したりすればいい話だけど、それまではずっとその人と離れられない。束縛しあうんですよ! 

ほかの人と映画を観に行く、ご飯を食べに行く、ただそれだけで浮気を疑われるような日々が待っているんですよ! 単に趣味が合うから遊んでいるだけかもしれないのに!

 

無宗教者が多い日本ではなんてことないけれど離婚が奨励されない宗派もあるキリスト教徒たちにとっては、そんなにインスタントに渡せるものではなかったのではないでしょうか。特に今ほど戒律に自由度が増したり、宗派が多様化したりしていない昔は。

 

しかし一応書いておくと、キリスト教徒は離婚禁止、ということも耳にしますが、その辺は宗派にもよるし、実は聖書の文脈をたどっても、はっきりと離婚は禁止、と書かれていないそうなのです。

(※実際のところは分かりませんが、カトリックは宗教上、離婚・自殺・中絶は認められていません。)

 

つまるところ、指輪に始まる環飾りは、「束縛」をも意味するのです。愛の誓いと束縛は表裏一体。むしろあえて、愛と束縛の証を身につけることに意味があるのかもしれない、とおしゃれリングすら嵌めたことのない女は思うのでした。

さあ、絵画を紹介するよ!

 

 

1.フィリップ・ハーモジニーズ・コールデロン(1833-98)
「破られた誓い」
(1856) 

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いきなり悲しいやつです。ズバリ言ってしまうとこの絵は恋人の浮気現場を目撃してしまったところを描いています。

 

庭園の壁越しに戯れる男女。私達からその顔は見えないものの、手前の女性からははっきりとその顔が見えたのではないでしょうか。

ここで注目してほしいのは見にくいけれど地面に落ちた首飾りです。(右下)この光景を目にした女性は自分が袖にされたことを悟ったのでしょう。あたたかなものであったはずの愛の束縛から己を解き放った瞬間なのです。

 

なぜそう言えるのか。

 

①女性の背後の蔦と男の持つ薔薇のつぼみ

ここで蔦は「永遠の愛」または、「意志の強さ」を象徴します。ボロボロの塀に絡まる永遠のなんと頼りないこと。女性は「もうこの男にすがることなどしない、私は捨てられたのだから」という心境なのでしょうか。そして男の持つ薔薇のつぼみ。薔薇のつぼみは「新しい恋と移り気」を意味します。もう半ば開きかけているつぼみを頬を紅潮させた女性に渡すということは完全に気持ちが次の女性に向かっていることを示しています。

よく見ると塀に蝶がとまっていますが(見えないね、中央左にいます)、西洋絵画において蝶は「魂」や「限りあるもののの儚さ」を表すとされています。※人間は不完全なものであり、その愛は神々の愛のように永遠にその熱を持つことはない、というのは私の推し詩人キーツを始め、たくさんの文学者が描いてきたことです。

その限りあるものの終わりが来たのでしょう。かなり低い位置にとまった蝶(愛や魂)は羽根を閉じ飛ぶ様子を見せません。

思いは塀に阻まれて、愛した男のもとには届かない、または壁=人間には超えられないもの(しかしその壁の向こうに人間がいるので、この考えはなんか違う気もしますが)と考えると、かなり切ない、そしてもっとたくさんの隠されたモチーフや意味のある絵画だと考えられますね。

(※プシュケとの関連づけ。ギリシャ神話でのプシュケは美しすぎて大変な目にあった人間の娘だが、単語としてのプシュケはギリシャ語で「息」・「魂」であり、そこから「人間の魂」を表すようになった)

 

②女性側の枯れた草とアヤメ

先ほどの若々しいつぼみとは対照的な枯れた草花が女性側の足下に見られます。その中でも左下にある、枯れたアヤメに注目してほしいです。アヤメは英語でiris 。ギリシャ神話の虹の女神イーリスからその名をとっています。

イーリスはゼウスの妻ヘラの部下であり、神々の伝令役であった、ということですが、他にも重大な役目を担っていました。それは「若い娘を死後の世界に連れていく」こと。また、恋人同士であった愛と美の女神ヴィーナスと戦と農耕の神マルスの中を取り持ったこともあるとか。

ここではこの後女性がなくなったかどうかは分からないけれど、若い娘がその心身をもって育み伝えていた愛が死んでしまった、というふうに解釈できなくもないのでは、そしてこの絵が描かれた当時の人たちもそのような解釈をしたのではないかと思っています。

なぜなら、ギリシャ神話は広くヨーロッパに浸透しており、枯れたアヤメ=「失恋と静かな悲嘆」を連想できたという説があるからです。

……もっとイーリスのエピソードや、先に書いた通り絵画のモチーフに言及できれば、もっと深く納得できることも書けたかもしれないけれど、家にある資料では今のこの走り書きが限界です。(ネットで論文とか読めない環境)

 

次はちゃんと詩も織り込んでお勉強してみるよ!

テーマは変わらずです。
ただ、また悲運の女性を扱うか、男たちを破滅に導く「宿命の女」を扱うか迷っています。

 

 

参考:

http://www.diamond-shiraishi.jp/ring_column/engagering/what_engagering.html

「テート美術館の至宝 ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢(日本展カタログ)」