変わり玉記録帳

日記・文章を載せる場所。個人文章道場も兼ねる。脳みそ断片保管庫宇宙本部。

「私」をうつすもの 書き書き秘話 その2

前のバイト先を辞めるときに、教え子のお母様から頂いた紅茶の賞味期限が、来月末に迫っていました。

私は昔から大事なものほど、しまい込んで失くしたり駄目にしたりする子供でしたので、なんだかなあという気分です。

「先生なんだから、しゃんと」と、どんなに堂々としていようとも、お母様にとっては、まだ年端も行かないお嬢さんだったんだなあと、淡い花がいっぱい描かれた箱に入ったピーチティーを見るたびに思います。本当に、可憐、って言葉がぴったりの箱。中身を飲み干しても、色褪せないようにしまっておきたいくらいです。

今度は駄目にすることのないように、茶葉がおばさんにならないうちに頂こうと思います。

 

ここからは前回の続き。書きたいことはまだまだあるので、すっきりまとめてしまいたいところ。

 

さて、前回記事は、「私」をうつすものに出てくる本棚は母のものがモデル、というところと、いかに母が読書好きか、ということに触れたかと思います。

課題作文の時数の都合上カットした部分があるのですが、それはこのような内容でした。

 

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母と私はよく本の貸し借りをします。基本的になんでも快く貸してくれ、読み終わっても感想を求めてきたりはしません。わが母ながら粋な人です。しかしそんな母が唯一、見られるのを嫌がる区画があります。それは本棚の奥の方にある、丁度今の私と同じくらいの年齢の時に傾倒していた、ちょっと湿っぽい、エログロ・お耽美、今でいうサブカル文学娘が読んでいそうな本がしまってある場所です。森茉莉なんか読んでみたいなあ、とごそごそやっていると、少ししかめた顔でこちらをじっと見つめています。

おそらく自分の青春時代を暴かれているようで恥ずかしいのでしょう。

もう読まないし、見られたくないなら捨てればいいのに、とは絶対に思いません。たとえ棚の奥まったところにあったとしても、本棚の一部として、いま現在の母を構成する存在であることに意義があると思っています。今となっては過去だけれど、確かに今の自分とリンクしている物であり、精神の血肉として消化してきたものなのです……

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今回は本をテーマに扱いましたが、人によって「私」をうつすものは様々なのではないでしょうか。写真、プラモデル、文章、アクセサリー、洋服、楽器、ゲーム、等々。とにかく「ああ、私はこうやって生きてきたんだ、あんなこと考えてこんなことしてたっけ。」と振り返れる何かがあるのだと思います。個人的には本人がそれに気づいていないことも多々あるのでは?と感じてもいます。

 

私はそういう意味で、昔から母の本棚には圧倒され続けていました。理由は分からなくとも前に立つと静かなエネルギーと無視できない存在感をおぼえるのです。今でも。

 

しかしそれに倣って私も、本やCDはなるべく借りずに買うことにしました。いつかの自分のために。きちんと読めもしない新書や純文学を並べることにも意味があると思ってます。かっこつけちゃって、まあまあ。ってするために。

 

よく年齢を時刻に換算して、まだ朝だ、何を始めるにも遅くない!と若者を励ますたとえ話がありますが、私の本棚はまさに早朝です。(精神年齢が低いんでしょうね)まだ大学受験の参考書が入っているかと思えば、鼻血の出そうな恋愛小説、陰惨なホラー、前置詞だけの辞書まで入っています。ジャンルもまちまちで、これから何が揃っていくのか、どちらかというと未来を憂えるタイプの私にしては、珍しくワクワクしています。

 

 

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内々の事情でこの記事をこの時期に書くことをとても躊躇いました。なにしろ突然のこと。でも、これを読んでくれているささやかな人数の人達には、ぜひ自分の、そして大事な身内、他人の系譜、語らない語り部のことを思ってほしい、知ろうとしてほしいと思います。そうすればきっと、新たな寄る辺がそこにあるはずだから。