変わり玉記録帳

日記・文章を載せる場所。個人文章道場も兼ねる。脳みそ断片保管庫宇宙本部。

ものを書く、をお仕事にする人たち その1

警告:この記事は最高に長いので心してください。2511字ありました。小レポートかよ。

 

今日でちょうど10日目。私のブログは殺風景だなあ、せめてアイコンでもつけるか。と思ってもカメラロールにはおっぱいの写真か、本気で個人特定できそうな写真しかなかったのでなんか、考えます。いい感じの画像もちらほらあったのだけど、知らない他人様が作った画像で自分語りするのは気が引ける。

絵が描ける人、いないかな。家族以外で。(同居している家族、私以外それ系のプロの人)

 

今日はみんなに質問があるよ、いくよ?いいかな?…せーの!

 

「街を歩いていて、『あ、こいつライターだ』と見抜いた経験がある・もしくは見抜く能力がある人―?」挙手!!

 

おそらく誰も手が挙がらないと思います。見た目で人の本当の職は分からないんです。私服警官とか万引きGメンとかの擬態っぷりたらもう。

自分をそこに含む気は到底ありませんが、私なんかはいい例で、こんなクソ真面目な風体なのにTwitterでは、おっぱいだの、しょーもないこと、鬱屈としたげろげろ、一周回ってクソ真面目なことなど、情緒不安定を疑われる勢いで好きなことを書き散らかしています。でも年齢が上がるにつれて、初対面では大体、きちっとした優等生・面白くなさそうな奴として扱われる傾向にあります。

それくらい自分と他人からの見た目と職業、人柄や言動は一致しないのです。

 

そういう経験を皆一度はしていると思うのですが、スーツを着ている人はみんな「サラリーマン」、「OL」ってくくってしまいますよね。

(でも、お勤めが長いほど、SEっぽいとか、営業っぽい、人事っぽい、役所にいそう、外資系?…とか謎の雰囲気でてくるような……あの現象はなんなんだろう。)

 

これが今回のテーマ、「書くお仕事と演じ分け」につながるのですが、まず書くお仕事について。作家やライターぐらいしか私も思いつかないです。たまに編集者さんも、ちょっとした文章を書くこともある、と友人から教わりましたが、今日はこの2つで話を進めてみましょう。

 

私の中では作家(ここでは専門書の著者も含みます)とライターは非常に曖昧な線引きがされています。そこがまずい、と感じる部分でもあり、大事にしたい部分でもあり……。と「困ったちゃん」しているところです。

ただ、明確なのは、より、「演じ『分け』」を要求されているのがライターさん、ということです。

 

だって考えてみてくださいな、皆さんもたまに読むであろう、ネタ系企画記事※がお堅い卒論や純文学、または比喩がふんだんに盛り込まれたポエティックな文体だったら、少し戸惑いませんか?やっていることはちょっと悪ノリかつちょっと刺激的なのに、ほんわか女子大生の「あしたもがんばるもんっ♪」系のノリだったら、読んでいて「キレ味悪くないか……?」と思いませんか?(※例:「好きな食べ物を連続何日間食べると『そこそこ好きな食べ物』に降格するのか」、「実家暮らしだが何日間家族にばれることなく裸族生活できるか実験した」など。注1)

逆に女子力系の美容系記事や、グルメ系記事を面白文体で書かれても読者は困惑してしまうのです。

 

そういう意味で、ライターとは一人で、たくさんの文体で演じ分けなければならない、しかもそれは自分で優先的に決められるのではなく、書く内容(提供したいコンテンツ)が大いに関わってくる、と私は思うのです。簡単に言えば、自分のクセを消さなきゃいけないことが多そうだ、ということです。

一部そのクセが評価されて、でかでかと執筆者の名前が出ているものもありますが、そういう記事は大抵ライター自身がネタを企画していたり、かなり密に案出しに関わっていたりするのでは、と私は踏んでいます。あんまりライター個人の名前がどん!と出ている記事ってないと思いませんか?

 

(実は昨年某女性向けエンタメサイトの中途採用面接を受けていました。今そのサイトを見てみたところ、末尾に「○○編集部」と会社名が記載されているのみでした。ちなみに会社、社員さんも内装もお洒落で、「ほおおぅ……。」となってしまうほどでしたよ。中身もそういう感じだと信憑性というか取り組みの真摯さを感じられますよね。)

 

昨年面接を受ける前、ライターのバイトを探したときも求人広告作成など、あまりオリジナリティを発揮できるようなものはありませんでした。ライター職のインターンにも参加し、自分の書いた短い記事がその企業のHPに載る、という経験もさせて頂きましたが、期待に胸膨らませ、いざ見てみると「あれ?これ私が書いたやつだっけ?」と思うくらい訂正されていて拍子抜けしたというのが正直な感想です。

 

しかし、それだけ彼らは作家とは違った「求められるもの」に忠実に仕事をしているのです。世の中、コンテンツ、会社…その他諸々の要求に合った文章を提供すべく、文章力と発想力を発揮してくれているのでしょう。まるで顔の見えない役者のように、次々と姿の代わりに言葉を変えて。

メイクばっちりきゃぴきゃぴな女性が、汗くさ面白記事やちょいエロ記事を真面目に書いていたり、垢抜けない男性が、超カッコいい音楽レビューを、不真面目なヒゲを生やしたイケてる兄ちゃんが、ぴしっと後進国の教育について書いていたりするのです。PCを見つめるその横顔には、きっと真剣さが宿っているのです。

 

そういったことや考えを経て、生半可な気持ちで「なんか文章とか書くの好きだから、(コピー)ライターさんやろっかな~。」という感覚は捨てなければならないな、と思ったのでした。そういうものこそ、まさに、「ブログにでも書いてろ!!!」であります。

 

だって、100%「望みの文章」を書ける可能性は低いのですから。言葉のペルソナ被れますか?

 

ただ、一口にライター、と言ってもお堅い新聞記事を書く人もいれば、コラム二スト、会社所属の人、フリーランスの人、と様々なので、好きなジャンルについて書ける場所も、この様々な情報があふれる時代、血眼になって探せばあるんじゃないかな?でも本気でその道を考えるならよくよく調べなきゃな、と思ったことがあるよ、とそういう回でした。

 

次は作家さんについて考えたことを書いてみたいと思います。

 

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注1:どちらも架空の記事名です。念のため。