マザコン過ぎて彼氏ができない
とんでもない飛躍の末の結論だが、タイトルそのままである。
ちょくちょく母の話をすることからも分かるように、なかなかのマザコンだ。この歳になっても何も考えずに話をしていてげらげら笑える相手は母だけかもしれない。
オチもへったくれもない話に、マイワールド全開な表現、お外では決して話せない内容をヒーヒー言いながらしゃべくっている。
「やっだー! 下品!!」
とは言葉ばかりで、笑い泣きしながら自分もそれなりな事を返してくる。
そのくせ、ひとしきり笑い終わると
「なんで人間はこんなに笑えるのに世界は平和にならないんだろう……」
などとしょぼくれて独りごちるところは、相手を置き去りにして好き勝手に話す私とそっくりである。
言葉遣いや話し方、笑いのツボ、めくるめくお天気な情緒はほとんど母から引き継いだと言っても過言ではない。
きれいな顔をしているのにとてつもなく陰気で、ろくでもないジョークと多少の下ネタ、くだらない諸々を愛しつつも、真面目に生きている母を心から尊敬している。
小さい頃は、おしゃべりが面白くておもちゃも洋服もなんでも作ってしまう手先が器用な母が好きだった。
でもそんな母は土日にはいなくなってしまう。いや、はっきり言おう。父と一緒にいる時の母はまじでつまんないのだ。ひとつも面白くねえ。死んだ目で情報番組を見ながら「今日は素麺でいいですか」じゃねえんだよ。コンプライアンス違反上等と言わんばかりの平日の勢いはどこにいった。
父と母が冗談を言い合って笑っているところを見たことがない。
もちろん過激であれば面白いというわけではないし、圧倒的読書量に裏打ちされたウィットがきいた冗談でクスクス笑うことこそ大人向けの楽しみなんじゃないのかなと、幼ながらに思っていた。
子供の前だから、と私たちの知らない楽しい夫婦の時間があったことは考えられる。
でもなんというか父といる母はかしこまっていて、ちょっと疲れている気がしていた。
そう思うようになってから数年後、やっぱりどこか噛み合わなかったのか父母は別居することになる。
子供と女3人で過ごす母は、のびのびと本を読んで子供のおしゃべりに付き合い、土日には昼に起き出してぬるいコーヒーを朝昼兼用の食事としつつ、午後の刑事ドラマの再放送をぶっ続けで見るようになった。
ここで話はタイトルに戻る。
人付き合い、こと恋愛においては会話ができるかどうか、それなりな冗談を飛ばしても打ち返してくれるかを最重要視している私は、出会いたくても出会えないのだ。母に匹敵するユーモアを持ち合わせた男性に。
母と同等かそれ以上の会話を求めるとなると、それなりに私の事を知ってもらわないといけないし、私も相手を知らなければいけない。
そこでようやっと「話が合うかどうか」が分かってきて……ああ打つのも面倒くさい!! 日記に書くにも先が長い!! やめだやめ!! となってしまう。
とはいえ既に「お年頃」を過ぎかけている年齢だ。自分でもそれは理解している。
「……だから大丈夫だよ、機会があ」
「いつまでもおぼこい事言ってちゃだめだよ!機会は自分で作るの!!!」
見かねた友人の強い強い強い勧めと軽めの叱責を受けて、最後は「ええい物は試しだ」と、本が好きな人のためのマッチングサービスを利用することになってしまった。
プロフィール書くのすごい大変、なにあれ。
(しかし読書習慣を植え付けたのも母である。そこを間口にしてしまうあたり、やっぱりどこか母離れできていないのだろうか)
さて、読書傾向がわかればなんとなくの性格もわかりそうだし、どんな話をすればいいかも掴みやすそう。やるだけやってみるか……とおっかなびっくりやりとりするうち、なんとひとりの男性と、日本酒を酌み交わしながら本について語らうことになってしまったのだ。
ウワー、予想だにしない展開!
字数多くなってつらくなってきたのでまた今度。