盲腸日記③
手術前のお気楽と、術後の痛みと絶望感。そして私が暮らしている部屋に母親のガサ入れが入る。
そして初めての意識がはっきりした状態でのベッドでの排泄の背徳感を味わって術後1日目。
痛え~~。盲腸ってよくある病気だから私が大げさなのかもしれないけど痛いもんは痛い。
トイレに行くたびに傷口から血が吹き出るんじゃねえの? という痛みを抱えて、なるべく歩行トレーニング。
空いた時間はネットいじり。
シャワーもOKです! と言われるも、点滴をぶら下げるガラガラするやつに縋ってよろよろしながら歩いている奴が己の身体を洗えるか!!!と思いながらも、は~~いの返事をして、その日は特に何もなく終了。強いて言えば陰鬱なブログを書いた。
翌日、やっと大部屋が空き移動。
同室のババアたちの予想以上のワガママっぷり甘えん坊っぷりに驚きながら、老いと病からくる不安は人をああいう風にしてしまうのか、きっと昔はピンシャンしていたろうに……と、
「ヤダヤダオムツがいい」、「これは食べたくない、ジュースがいい」
と幼児退行してしまっている老婆と、それを宥めすかす看護師さんとのやりとり、そしてオムツ替えの際の臭いに、(病院てこんな感じなんだな)と知らなかった一面を見た気がした。
そして流動食が始まる。苦手なはずの重湯がめちゃくちゃ美味しかった。でもかぼちゃのポタージュの方がもっと美味しかった。
そんな感じで食べ物が少しずつ固形物になっていく。噂に聞いた骨のない魚を初めて食べた時は感動した。
看護師さんから食事をとるようになるとメキメキ回復すると言われていたのは本当で、それまでは、パラマウントベッドを最大限ウィンウィンさせてトイレに立っていたのが、そこまでウィンウィンさせなくても起き上がれるようになった。まだ全然痛いけど。
相変わらず前かがみになってヨロヨロしているのは変わらないが、私の中では(昨日のヨロヨロと今日のヨロヨロは違うんだぜ!)という気分であった。
この頃になると音楽を聞いたり、文章を読んだりする余裕も出てくる。気をつけなければならないのがネットに転がってる面白記事で、私はこの文章に、いろんな意味で殺されかけた。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886843868/episodes/1177354054886844960
流れるような文体に圧倒的な文章力、そしてくどくないテクニック。
面白い、悔しい、私もこんな文章が書けるようになりたい!!!と思いつつ、笑うと腹に激痛が走るので、ヒーヒー言いながら読んでいた。
この文章のおかげで笑いたいときは、深呼吸して力を逃すという技を身につけた。
実はこの日の前、別れ話をしてしまったが故に、予想よりも強い腹の痛みを誰にも訴えられない、泣き言を言えない寂しさから、夜少し泣きながら音楽を聴いていた。
JAMの「アネモネの恋」だの、わざとウッとくるような、明るい女の子が失恋してもなお明るく振る舞いつつ、でも素直な胸の内を打ち明ける、そんな曲ばかり聴いてはらはらと涙を流していた。あと宇多田ヒカル。
こういうわざと心情にマッチした曲や文章、映像に触れる、ある意味自傷行為というか膿出し行為はみんながやっているものだと信じているのだがどうなのだろう。
私は結構やってしまいます。一人暮らししてからはよく泣いてます。
ちょっと逸れたが、泣いたおかげか翌朝めちゃくちゃスッキリ目覚めた。上に貼ったリンクの記事も楽しく読むことができた。
よし、心のモヤモヤは晴れた。
ちゃんと自力でトイレに行こう。頑張ろう。と、少しずつパラマウントベッドのウィンウィンをウィン、ウィ、ぐらいの角度に変えて、なるべく機械に頼らないように起き上がっていたら、腰を痛めた。
(ウッ!腹の傷も痛いけど腰も痛え~~。痛みのサンドイッチやぁ~~!!)と歯を食いしばりながら、それでもど根性で起き上がっていたらますます腰は悪くなり、寝転がっていても痛むようになってしまった。
まだパラマウントベッドの力を借りるべきだったか。あまりにも痛むので、看護師さんに何度か湿布くださいというも、待てど暮らせど湿布はやってこなかった。
これを打っている今も腰が痛い。
ちょうどこの日はシャワーを浴びる日で、上手く浴びられたら翌日には退院しちゃおうかな、と思っていたけど甘かった。
シャワーは上手に浴びられたけど、血行が良くなるとやっぱり痛い。あとなかなか微熱が引かず、結局翌日も病院で過ごすことになった。
この日も湿布はやってこなかった。
あとは特に面白いことは起こらなかったが、月曜搬送~金曜退院と結局ほぼ5日間病院のお世話になってしまった。
盲腸おそるべし。私プチ整形かなんかと同レベルで考えてて、日帰り手術で帰れると思ってたよ。
担当医はとにかくゆるくて、3日目には退院してもいいよ~、と言ったかと思えば、不安だったら別にいつまでいても構わないし~、とあんまりはっきりこの日で退院しましょう!というのを言ってくれなかった。
最近は患者側がいろいろうるさいのかもしれないが、(私はこの判断を君に委ねたい……)と思いつつ、でも直立できるようになったら退院という目安を勝手に設けて退院することにした。
看護師さんもいろいろで、もう退院OKです!と言われることもあれば、退院当日の朝の検温で、熱があるから念のためもう一泊した方が……退院してしまうとなんでも1人でやらないといけなくなるので、という人もいれば、シンプルに、気合次第です!という人もいた。
そんなこんなでそろそろ病院を後にする。個人的にはなかなかいい体験だった。搬送、手術、入院。
多分通勤でまた地獄を見ることになると思うのだけど、まあデスクワークだし、土日挟むし、とまた呑気に構えている。私は自分の身体については結構雑なのだ。
今考えてるのも、普通のご飯と酒はいつ解禁ですか? ということである。
その辺も適当なのであれば、適当に調べて適当に飲み食いしようと思っている。
もうそろそろ母が迎えにくる。(あー、この間いつまでも親は頼れない、って書いたばっかりなのになあ)トホホ。
待つ間に荷造りを終え、あとは母が持ってきた服に着替えるのみである。
母が来て、看護師さんに挨拶をし、清算を済ませ自宅へ。私の5日間は終わった。
この日もクソ土砂降りで(ああ、また盲腸患者がたくさん運ばれてくるのかな)と思いながらゲリラ豪雨を見ていた。
大した病気でもないし、初めての入院にはちょうどいい期間だったと思う。でもやっぱり病気はするもんじゃねえな、と思う。医療従事者は高いお給料もらって当然だわ、としがないデスクワーカーの私は思った。
特に朝はバタバタするし、時間通り動かなきゃならないし、ミスが許されないし。
看護師になりたいと思っていた頃もあったが、その道を捨てた自分を褒めたい。私のような粗忽者が看護師になったら、即医療ミスして、速攻クビになるか病院を潰すと思う。
でもこれだけは言わせてほしい。
「すみません腰が痛いんで湿布ください」